疑問

 人々は、どうやって日々を過ごしているのだろうか。

 大学に通い、サークルに所属し、バイトにも励み、インターンに参加する、そんなバケモノのような人が割と周りにいたりする。そういう人々は、どんな生活をしているのだ。果たしてそれは人間業なのか。大学に入ってから、そういう疑問を抱くことが多くなった。

 私は勉強はそれなりにはしているつもりだが、サークルもやめ、バイトもあまりしていない。学問をしに大学に来てるのだから、勉強を優先したっていいだろう。

 それなのに、いろんなことに手を出している人々に、成績で負けたりする。どうして、そんなに器用に生きられるのだろうか。

 

 最近になって、自分なりの答えが出たので、書き留めておく。

 そういう人々は、別にたくさんのことをこなすのが上手な、能力の優れた人だというわけでもない。他のいろんなことを犠牲にして、それでもあるいくつかの物を大事にしたいと思っているのだ。睡眠とか、食事とか、まあ簡単に表現するとQOLを犠牲にしていることが多いように思われる。

 私はQOLをめちゃくちゃ大事にしている。何なら勉強よりも優先している。テスト前でも必ず22時くらいには寝るし、降年や留年がかかってでもいない限り、つらい生活を送るくらいなら単位を落とした方がましだと思う。それだから単位をあれだけ落とすのだろうけれども。

 思えば、サークルをやめた一番の理由は、練習が長引いて睡眠時間が削られることが何度かあったということだ。単位を落としすぎていることへの危機感もあったが、それよりも、生活の質を落としてまで続ける意義が見いだせなかったのだ。

 

 人生の意味、というか、生きているのは、幸せな思いをするためだと思っているので、つらいことはできるだけ排除したいし、暮らしの質を上げるためならそれなりの努力はしたいと思っている。

 でもそれって、ある意味、危険な思想なのかもしれない。というのも、仕事を始めたら、当然しんどいことも多くなってくるだろう。これからさらに進学して研究をしていても、ある程度は長い時間の研究が必要になってくるだろうし、たいていはうまくいかないだろうから、つらくもあるだろう。それに見合うだけの楽しみが見いだせるのならばよいが、物事を楽しくする能力がなくなったとき、残るのは、無である。何もしなければ、楽しくはないが、つらいことは少なくとも排除できる。その効用は長くは続かなくて、無は苦痛に変わるだろう。絶望である。

 今のところは毎日が楽しいので、思想を変える必要もなかろう。