九州旅行記 後編

 自動車は嫌いな私だが、旅行そのものは好きである。見知らぬ土地にいる、それだけで気分は高揚する。そもそも高校時代は、日本や海外のいろんなところに留学したり出張したいという動機だけで勉強していたものだ。

 

 しかし「旅」の意味が半年前から、幾分か変わって来たように思われる。きっかけはゼミ旅行である。東京の出身であるゼミ生2人の案内で東京23区の主に東部を観光したのだが、それらは彼らの故郷であり、生活の場であり、学習の場であった。彼らは町の細やかな路地も知っており、「普通」の観光客ならば選ばないような道を選び、ガイドブックには載っていないがそれ故により「東京らしい」東京を見せてくれた。

 それまでの旅とは、知らない土地に行き、観光案内所に紹介された場所を巡り、目新しさを楽しむものであった。ゼミ旅行を通じて、旅とは「故郷」に帰るという側面もあることを知らされた。ゼミ旅行に行く前から東京について何度か聞く機会があり、東京というものに精神的に慣れ親しんだ後に旅行に行ったことで、「知った」土地への回帰となったのである。細かな路地を私たちが歩いていたとき、私たちはその土地に属した、「地元」の民に見えたであろう!

 

 九州旅行でもまた、「故郷への回帰」を果たしたのだ。福岡県久留米市には有名な中高一貫校があり、そこを卒業した知り合いが何人かいて、前から久留米市についていろんな話を聞いていた。くるっぱというゆるキャラがいて、久留米市で愛されているがあまりかわいくはないこと。久留米駅には西鉄という鉄道が通っていること。鳥栖はほぼ福岡だということ。どれもどうでもいい話である。しかし、どうでもいい話を知っているということで、私は久留米市を「故郷」と成しえたのである。

 果たして久留米市はくるっぱに溢れていた。道の駅で売っている野菜には一つ一つくるっぱのシールが貼られていて、道端の看板にもくるっぱがひょいと顔を出す。くるっぱはゆるキャラらしくアンバランスな形をしていて、確かに不格好であり、それ故に愛らしい。久留米市で目にしたものは、知っていたくるっぱであり、知っていた久留米であった。

 

 友人の故郷を自らの故郷と成すことは、お前の物は俺の物というジャイアン的発想であり、狂気の沙汰とさえ思われるだろう。しかしそれは無害であり、楽しきことである! こうして「故郷」を増やしておけば、将来に出張をしたりするときも、旅を大いに楽しめるであろう!