九州旅行記 前編

 私は車が大嫌いである。駅まで車で乗せてもらうくらいならば、慣れた道であり車に乗る時間も短いのでまだ耐えられる。しかし、30分も1時間も車に乗るということになれば、ひどく緊張し、不安になる。自動車は飛行機や電車よりも圧倒的に危険な乗り物なのだから、合理的ではあるだろう。

 そんな有様だから、鹿児島から長崎の九十九島まで車で往復する旅行の提案を聞いたとき、私は猛反対した。絶対に同行したくないと。一緒に旅行したいという母の懇願により、私は仕方なく旅行についていくことに決めた。5か月前のことである。

 

 それから私は、不安感が続く状態に陥った。車での移動距離は1000kmを超える。生きて帰れるはずがない。そうして、終末の日までの日数が減っていくのを感じながら、日々を過ごすことになった。

 そして春休みになった。残された時間は少ない。そう思うと、行動に変化が現れた。本当に会いたい人に会いたいと言うことができるようになってきたのだ。

 

 私は昔から、「幸せそうで羨ましい!」とたびたび言われる。少なくとも大学に入学するまでは、いろんな人から言われてきた。そう言われるのが普通だと思っていた。大学に入ってからは羨ましがられることが少なくなった。何かがおかしい。その理由を私は、良質な人々との交際がないからと推測した。これはある意味では正しい、しかし当時の私がとらえた意味は、誤ったほうのものであった。

 そうして、人々が羨むような友を持つことを目指すようになった。肩書きを気にして、pathosが対立するような人と交際するようになった。それによるストレスで体調が悪化することも度々あった。それでも懲りずに、この2年間で3回ほど似たような間違いを繰り返していた。

 

 生きているということ、その非自明さを再確認したとき、考え直すことになった。これまでの人間関係は、本当に正しいのだろうか。誰かと仲良くしていたら、他の人からどう思われるか。それを気にしてつるむ人を決めるのは、本当に幸せにつながることなのだろうか。

 そうして私は変わった。大好きな人に大好きだと伝えること。会いたい人に会いたいと言うこと。何のひねりもないことだが、大切なことだ。

 

 幸い、1000kmを超える自動車の旅から生還し、今この文章を書くことができている。何とも幸運なことである。これからも、この旅を通して気づけたことを大切にしていきたい。

 

 ところで、sympathyというものを重視するようになったことには、"Jane Eyre" という作品を読んだことも大きいだろう。翻訳版だと文庫本2冊、計1000ページほどと長い物語ではあるが、春休みで暇を持て余している方にはおすすめしたい。